1.大田区工業の特徴
最も差別化が可能なニッチ市場、もしくは得意分野で技術力を高めて優位な位置を確保するために全ての資源を集中しているのが中小機械工業を中心とする大田区工業の特徴である。そして、製造業のグローバル化を初め、外部環境の変化により生じたいろいろな問題や危機に際しては、事業機会の発見やその実現能力等の解決能力に優れた企業が生き延びてきた。大田区の中小機械工業の集積地としてのネットワークは、情報や、物流・部品等の調達コストの低減、経営資源の相互補完、ネットワーク自体によるプロジェクトの推進とそれに伴うコスト削減効果等の形で活用されてきた。
大田区立地のメリットとしては、そうした集積やネットワークへの評価と、地理的条件(都内でしかも空港や東京駅、また国際展示場に近いため、情報入手がしやすく、顧客との打ち合わせも容易、等)が上げられる。そうした大田区で働く人たちも最初から優秀な人は少なく、優秀な人材に育てられた人たちである。しかも、賃金水準は決して高くない。経営者もそこで働く人たちも、お金で測れない満足度を独自に有しており、それが巡り巡って競争力の根幹をなしている。
一方、大田区の集積やネットワークが、現在、抱えている問題としては、限られた土地・スペースでの操業の限界、工場数の減少により一部外注先確保が難しくなりつつあること等がある。
2.大田区工業から見える日本工業の近未来
調査から見えた大田区工業と日本工業に共通する5項目の外観は以下の通りである。
① 製品=加工技術の高さで勝負してきた大田区工業だが、産業構造変化により、現在活躍しているのは、概ね自主製品の開発力と販売力、あるいは卓越した技術を持つ企業である。製品は、主に生産機械、その試作品等である。この傾向を発展させ、「福祉を高めるものづくり」の視点を持って、「環境と高齢化に配慮した持続可能な社会的需要」を創出する方向へ進化させるのがいいと思われる。
② 基盤=従来、強かった「造り出し能力」を活かしつつ「創り出し能力」に発展させるのがよい。そのためには、企業内の蓄積技術のみに依存せずに、企業外の技術力も活用する必要があり、横断的な情報交換と仕事上の連携が不可欠である。
③ 地域性=かつては、地域内で殆どの技術力を調達し、万般の加工、製品開発が可能な特徴があったが、製品の多様化、基盤の移動により、それは困難になっている。域外のネットワークを拡張し、他地域の企業とも連携できる力を養う必要がある。
④ 次世代育成=高度技術・技能者の維持、向上策を立てる必要がある。企業は現在の活動に必要な人材確保とその育成に手一杯で、近未来の人材問題に力を割くゆとりがない現状にある。公的機関が企業と積極的に連携して対応すべきである。
⑤ 投資=先端的企業で設備機械の更新期間が短縮化している。競争上の必然的行動というが、社会的には過剰投資と見え、いかにその調和を図るか検討が必要である。
3.「事例企業」から見えた「大田区工場」の諸問題
事例企業の調査から明らかになった諸問題を項目別にまとめると次のようになる。
① 経営者像=70年代以降の創業者、後継経営者は学卒、工専卒者が多く、生産技術の「知識化」が進展。中規模以上の事例企業が多かったこともあり、「職人型」経営者の減少が顕著である。技術・技能の知識化が進みすぎると、その身体化が疎かにされ、将来に禍根を残す懸念がある。なお、創業者が会長になり、従業員から社長が任命されるケースがあった。経営者としての専門化の始まりで、大田区の新状況として注目された。
② 従業員像=小工場活性化の基であった従業員の独立志向が薄れた。機械の高度化等により開業資金が高騰化し、安価な汎用機や中古のNC機等を揃えての開業では仕事が難しくなったためである。生産技術の高度化が続く中、従業員の高学歴化の傾向が顕著であり、高卒者でもかなりの知的活動が必要とされるため、経営者には学歴を問わず働ける環境づくりが求められる。ただ、経営者には高卒者への不信感(継続勤務できない例、挨拶や身だしなみへの違和感等)が根強くあるように見えた。女子従業員の生産現場要員としての活用例は増えている。機械のNC化で、汎用技術の修練を経ずに生産に従事できるようになったのが大きな要因である。
③ 技術=デジタル系を主にすれば十分との認識が浸透する一方、生産現場でものづくり技術の水準低下が起きたとしてマニュアル化不信の声もあった。しかし、重要なのは、生産現場の技術・技能は、暗黙知が基盤であり、先端ほど機械化が進むが、結局、最終的に暗黙知の動員が必要だということである。技術・技能はそのように体系化してその総合力を重視すべきであり、いかに高度な汎用技術を維持継承するかが大きな課題である。そのためには公的機関が設備と実習機会、その必要性の啓蒙活動をすべきである。更に企業内の技術・技能は、その社が現在必要とするものに限定されがちで、それが続くと創出力が弱まる。各社は近未来までに想定できる専門分野を策定して、その分野の技術者を育成することが望まれる。大田区産業振興協会主催の「新製品・新技術コンクール」は、下請加工だけでは将来がないので、アイデアを形にして自社製品を持たせる目的で開設された。今後、受賞製品・技術を市場に乗せる努力が必要だが、目論見は一応成功している。また、2006年春、「顔の見えるモノづくりネットワーク」と銘打ち、高い「要素技術」を持つ技術者がインターネットを利用した相談窓口に立つ新しいネットワークが立ち上がる予定である。興味深い動きといえる。
④ 地方展開・海外進出=大田区工業の維持、成長の一策として、有力企業の地方展開は続くと思われる。大田区での人材確保の難しさや、自社製品の開発生産のための一定面積の工場用地確保等が事由である。後者を大田区での従業員の仕事を確保するための「雇用対策」と位置づける企業があったことは特筆される。また、地方の生産会社とタイアップして大田区で生産活動を営む企業も見られた。一方、海外進出については、基本は国内工場の充実発展に置き、それにどう海外工場が資するか計りながら進めているのが「事例企業」の現状だった。大田区は海外との連携、共存を熱心に働きかけているが、現実に照らすと「共存」はかなり困難と思われた。
⑤ 設備投資=NC機器に積極投資している例があった。受注競争に勝つため不可欠というが、それが難しい小工場は、加工業者として後塵を拝することとなる。こうした現状について、機械のリサイクルを含め、検討が必要だと思われた。また、大田区産業振興協会は知的財産保護支援の検討を開始し、既に特許を対象とする信託契約を締結する等、「知財」の商品化が始まっている。公的機関が技術力を審査できる組織を作って支援し、中小企業の技術力を財産化する方向での新展開が期待される。
⑥ 情報=インターネットを営業活動の中心に置く企業が多いことが注目された。また、インターネットに限らず、情報化による物理的空間の必要性の減少を利用した情報型ものづくりネットワークの可能性を示唆する段階になっている。すると必ずしも自前で地方工場を維持する必要はなくなる。大田区の情報化の活用が注目される。
4.技術・技能伝承面を中心とした人材育成
① 「東京ものづくり名工塾」=中堅青年技能者を対象に、金属工作機械加工分野における高度熟練技能の継承と技能向上を目指して2001年度から東京都が実施。塾生は、概ね、初歩的技能の修得を目指しているのが現実で、本来の目的に合致しない面はあるが、現在の中小工場がOJTで汎用技術を習得させる仕組みを作りにくい等の現状から、必要な存在と評価できる。なお、大工場での技術・技能伝承への危機感に比べて、中小工場側での危機感が薄いように感じられたのは問題である。
② 高校での人材教育=都立六郷工科高校の「デュアルシステム」が注目された。企業でのインターンシップや長期職業訓練をカリキュラムに組み込んで、学校と企業の2機関での学習を体験させるもので、東京都の製造業の後継者不足という現状への対策として2004年度から開始されている。導入後、日が浅く、現段階での評価は難しいが、事例企業でのヒアリングでは賛否両論に分かれていた。
③ 東京中小企業家同友会大田支部の努力→同支部では、東京都立工業専門学校(以下、都立工専)との産学連携事業として2002年度から「中小企業経営塾」を開催中。中小企業経営者を講師に、その経営体験の中から「生きた教材」を学生たちに提供しようとするもので、今年度は外部の講師も入れている。なお、工業教育では、学校でも実務に近い制度と環境を整え、実際に役立つ能力、知識を身につけさせるべきと考えられる。それを実践した都立工専の初代校長清家正のモデルに学ぶべきである。
5.事例企業から見る大田区企業の海外展開
90年以降、世界経済の動向と日本国内市場の低迷が相俟って、日本の中小企業(特に製造業)も海外展開を活発化させ、海外子会社を持つものは2002年13.0%と、92年対比ほぼ倍増した(但し、設立件数は95年をピークに、アジア経済危機の影響で98年以降低迷)。地域的には、東南アジア、中国を主とするアジアが約6割である。主要目的は、
① 海外市場への販路拡大、
② 主力取引先の要請、
③ 安価な製品の輸入によるコスト削減―で、1社平均の海外子会社数は1社(従業員数300名以下の場合)が多数派。出資形態では、投資規制の緩和から、近年、中国への独資での進出が増えている等が特徴である。
事例企業の場合、海外子会社数、進出地域、出資形態等では、一般的傾向と大きな乖離はないが、特徴的なのは、設立時期と進出目的である。前者は一部を除き、進出ラッシュのピークを過ぎてからの拠点設置であり、後者では上記目的の③がなく、海外進出への切迫感も感じられない。これは、独自の技術とノウハウにより国内市場に事業の基盤を確立した上で、さらなるビジネスチャンスを求めての海外進出なのであり、輸入品に圧迫されたり、国内市場の先細りにより海外進出を余儀なくされたのではないことを示している。