1946年金属切削加工の下請業者として創業。経営の安定と社員の幸せのため、自社製品の開発に着手。後発ではなく「常に他より一歩先んじる」信念で製品開発を進め、そのニッチ市場開拓は現在に至る。
57年国産初の「オリオン電気搾乳機」を開発。米国製の搾乳機を研究し、既存の真空技術を用いた初の自社ブランド製品であり、高価な輸入品に比べて安価で、国内酪農家の好評を得る。その後酪農の自動化・機械化に取り組む中で、故障が許されない搾乳作業をサポートする販売・サービス網を全国に構築し、トップメーカーとなる。
65年酪農機器で培った真空・冷凍技術を応用した製品を開発し、産業機器分野へ進出。チラー(水の循環で産業機器を冷却)、エアードライヤー(空気中の不純物除去)等でニッチ市場トップに。顧客ごとの仕様に合わせた多品種少量生産を強みとしている。
ブランドスローガン「冷凍と真空でイノベーション」のもと省エネ製品の開発を進め、低炭素社会実現に貢献。
社員の幸福と社会への貢献、企業の繁栄のための経営を実践。創業以来業績低迷期にもリストラせず、継続的な採用を実施し地域雇用にも高く貢献。全員経営と衆知の結集が社風として浸透、今後の更なる発展が期待できる。
1968年創業。創業者が炭坑内の砂の混在した水の排出や船底に溜まったオイルスラッジを吸い上げるポンプの新たな需要に着目。渡欧時に出会ったドイツ製の一軸偏心ねじポンプ(当社商品名モーノポンプ)の独占的製造販売権を取得し事業を始める。
80年代から90年初めにかけ、ポンプの心臓部品であるローター、ステーターの国産化に成功。以降顧客ニーズに合わせた独自製品を開発。
モーノポンプは無脈動で定量の高精度吐出を実現。食品業界のほか、上下水道、化学、製紙、土木・建築、自動車、電機等幅広い業界で、移送困難な液体や粉体の移送・充填に利用されている。業界シェアは90%。
85年に開発したモーノディスペンサーはモーノポンプの原理を応用。シール材などを微少量・高精度に塗布。自動車メーカー、電子機器市場に展開。
年商の約4%の研究開発投資、約100名の研究者・エンジニア(社員の1/4)と厚い研究開発体制による技術開発力が大きな強み。そのほか大型ショールームや走るショールーム(展示車)によるブランド戦略の展開や、全国のアフターサービス体制・標準部品の即日出荷体制等も構築。モノづくりを支える卓越した流体技術が強みの難液移送分野のトップ企業。今後の更なる発展が期待できる。
1951年創業。農産物の運搬等を行っていたが、生産拠点が近い大手化学工業の物流業務を受注したことが飛躍の契機となる。
大手化学工業との間で、危険物取扱のための安全教育、人材育成、定期的な物流の現場監査、導入設備の品質検査、顧客情報の共有による業務効率化などの物流連携を推進、更にISO9002の導入、危険物自動倉庫の実装、内陸通関による大幅なリードタイムの短縮などの生産性向上に取り組み、物流パートナーとして信頼に確実に応え続け発展してきた。
危険物取扱資格者166名、危険物倉庫、危険物運搬車両等の危険物物流インフラ整備、更には通関業許可の取得が事業上の強みとなっている。
安全第一主義を基本理念にIT技術を活用した独自の運転手健康管理システムを開発。乗降時の点呼情報に血圧やアルコール検知、体温等のバイタルデータをオンラインで管理し保健師が個別に健康指導を実施。更に産学官金連携プロジェクトとして倉庫内荷役業務の自動化システムを構築する等物流業務の省人化にも取り組む。
化学品輸送のプロフェッショナルとして、人材育成と危険物物流インフラ整備により他社との差別化を図るとともに、安全第一主義の理念のもと業界に先駆けて運転手健康管理システムを構築し業界での普及活動にも尽力。今後の更なる発展が期待できる。
1970年創業。現会長がパリのショーウィンドウに飾られた洋服の副資材のカラフルさに感動、日本での市場の可能性を見出す。フランス・ドイツから機械・技術を導入し70年にテープ、リボン等の製造を始め、第2次ベビーブームに乗り赤ちゃん服のフリルが大ヒットし基礎を築く。
細幅繊維を中心にアパレル、スポーツ、包装資材向け等の服飾副資材を企画から織り、編み、染色、後加工まで自社一貫生産。オリジナルブランドのS.I.Cは商品点数約4.2万点に及ぶ。また世界最大のテキスタイル見本市プルミエールビジョンへの出展歴も長く、世界6都市の自社ショールームなどグローバルに展開。なお世界3大スポーツブランドとは企画から開発に参画。
「安いから買う」ではなく「欲しいから買う」製品作りと、「商品と流通の両立」を基本方針として厳しい繊維業界において優位性を誇っている。
「会社のために人がいるのではなく人のために会社は存続する」を経営理念に創業以来リストラ行わず、女性活躍や障がい者雇用も積極的。
現会長が日本における服飾副資材普及の可能性を見出し事業化。豊富なオリジナル製品を生み出し独自のマーケット戦略を展開、世界的企業に発展。第二、第三の柱としてシリコーン事業、更には編み技術を活用し様々な強化繊維を使用した機能基材の産業資材事業を展開しており、今後の更なる発展が期待できる。
1964年スプロケット(鎖車)生産で創業。
80年代需要減少で業績低迷する中、現社長主導で進めたのが隙間分野に的を絞った商品戦略。当時機械メーカーが内製していた機械要素部品のセットカラー、トリム、シムの標準品を国内で初めて生産。品揃えの豊富さと納期・品質の信頼性で顧客の信頼を獲得する非価格競争で業積は伸展。
2008年リーマンショックにより大きく売上減少するが、社内設備を自社開発し内製化を進めコスト競争力の向上を図るなど企業体質を強化。
主たる製品は、主にシャフトに取り付け位置を固定させる「セットカラー」と高さや隙間を調整する「シム」で売上の約5割を占める。機械要素部品のほか安全対策品、塗装治具等含め、標準品の品揃えは約3万2千点に上る。
「一番大事なのは社員、二番目に仕入先、三番目にお客様」と社員第一の経営方針。私用でのスマホを止めた場合の「デジタルフリー奨励金」や読書を促す「ビブリオバトル」等様々なアイデアで社員の成長を後押しし、社員目線での福利厚生制度見直しも積極的に取り組む。
隙間分野に的を絞った豊富な品揃えと短納期体制を構築し、内製化・自動化により高付加価値化を実現。社員第一の経営による小さな差別化の積上げにより強い企業体質を作り上げており、今後の更なる発展が期待できる。
1960年に図工・美術の学校教材専門メーカーとして創業。「営業マンがモノづくりの中心」の考えのもと、学校現場のニーズに合わせた独自の商品開発を進め、商品ラインアップの拡充を図って来た。現在では1万種類以上のオリジナル開発教材・知育商品を販売。色・柄などのバリエーションも含めたアイテム数は2.5万点に上り、3千社の代理店・WEBを通じて全国の幼稚園から高校7.9万校及び海外70ケ国以上で当社教材が使用されている。
2012年に発売したアーテックブロックは縦横斜めの全方向につなぐことができるブロック。さらに14年にはブロックとロボットパーツ、プログラミングソフトを組み合わせたアーテックロボを発売。新学習指導要領での小中学校のプログラミング教育開始を捉え、教材の開発販売を始めとしてスクール事業・コンテンツ事業にも拡大するなど大きな柱に育っている。海外でも高い評価を受け、モンゴル、ハンガリー等の小中学校の指定教材に採択されるなど世界30ヵ国で使用され、今後もさらに拡大する見込み。
少子化により縮小する学校教材市場にあっても「先生の仕事はまだまだ効率化できる。学校現場で必要とされるものは何でも作る」と現場ニーズを商品化する企画力は群を抜く教材のリーディングカンパニー。今後の更なる発展が期待できる。
1946年モーター修理業として創業。モーター及びモーター製造用機械の生産で事業拡大するも70年代オイルショックにより受注激減。下請けからの脱却を目指し自社製品開発に取り組む。
75年コンベヤ駆動用のMDR(モータ・ドリブン・ローラ:商品名「パワーモーラ」)を開発。内蔵されたモーター(交流電源)でローラ自らが回転する画期的製品。世界で初めて商品化し、ビデオデッキ組立ラインのスピードアップに寄与。
88年には安全性、経済性の高い直流電源駆動でブラシレスモーター搭載の「パワーモーラ24」を開発するも、バブル崩壊により販売は停滞。
大きな転機が98年。米国郵便公社での大量採用を契機に医療品・書籍・食料・医療等の様々な業界の搬送現場で採用。現在、モータローラ市場において国内シェア7割、世界シェア6割。特に米国でシェア高く売上の6割が輸出。
近年はMDRを用いたモジュール、搬送システムへと進化。レイアウト変更が簡単かつIoTによるスマート工場化に親和性高い。またMDRの技術を活かしセル式モジュール型植物工場システムも開発、習志野市の地下共同溝で稼働中。
MDRはスピード物流、マスカスタマイゼーション対応、スマート工場化に対応可能な「マテハンの万能細胞」。積極的に市場開拓、研究開発、海外展開の拡大等に取り組んでおり、今後の更なる発展が期待できる。
1952年創業。戦後ピークの赤痢患者数や大規模な集団食中毒の多発と、清潔な手洗い等の公衆衛生改善が喫緊の課題であった中、ビオゾール(殺菌剤)を添加したココヤシ原料の薬用石鹸液と専用ディスペンサーを販売。日本経済を牽引していた繊維産業の工場を皮切りに、鉄鋼業などの重工業、官公庁へと順次供給拡大。日本全国での石鹸での手洗い習慣の普及に貢献。
その後、大気汚染や水質汚染への対策が叫ばれる中、61年にうがい薬「コロロ」、71年に環境負荷の少ない「ヤシノミ洗剤」を販売するなど、時代の要請に対応した製品を次々と供給。73年にアルコール手指消毒剤を開発し医療分野に、95年にカロリーゼロの自然派甘味料「ラカント」で食品事業に進出するなど事業領域拡大。
O157やノロウイルス、新型インフル等の感染症問題を背景として環境衛生への意識も高まり、当社は景況感に関わらず成長し続けている。
また、ボルネオでの「緑の回廊プロジェクト」やウガンダでの「100万人の手洗いプロジェクト」等、長期かつ本格的なSDGsへの取組みも行っており、世界の衛生・環境・健康に大きく貢献している。
「常に時代を先取りし、衛生・環境・健康に関わる」ことに拘り続け、事業領域を拡大するとともに着実に成長し続けており、今後の更なる発展が期待できる。
1964年創業。創業者の「鉄に替わるステンレスで配管製品を作る」との信念のもと、ステンレス継手、バルブを製造販売。
当初は化学工場向けが中心で、建築用屋内配管は鋳鉄管、亜鉛メッキ鋼管が主流。しかし錆や亜鉛溶出等の問題がクローズアップされ始め、ステンレス鋼化が求められていた中、79年他社に先駆け屋内一般配管用ステンレス鋼管の拡管式継手「ナイスジョイント」を開発。
ナイスジョイントは施工性、耐久性、耐震性に優れているのが特徴。拡管方式のため現場での鋼管のねじ切りがなく、熟練スキル不要で作業時間も短い。耐腐食性も高く鉄配管に比べ寿命も長い。また建築基準法で定められた基準の5倍以上の耐震性があり、東京都庁を始め汐留・丸の内・有楽町の再開発、スカイツリーでも採用。大規模・重要建築物用として全国シェア7割以上。特に拠点病院ではシェア8割以上。
2014年には津山第二工場、最新鋭の自動化ライン導入、17年鋳造工場竣工等、新本社・工場として積極的に投資を行い生産性向上に努めている。また、当社が中心となり、津山地域にステンレス加工に強い企業の集積が進みクラスターを形成、産業基盤強化にも高く貢献。
建築業界の人手不足への対応や災害に強い建築物が強く求められる中、当社製品の果たす役割も大きく、今後の更なる発展が期待できる。
1948年創業。原爆被害の残る長崎で壊滅した社会インフラの復旧に向け、回転機・発変電所修理を3人で始める。53年長崎市の浄水場の電気工事受注を皮切りに本格的に水事業に参入。長崎大水害、雲仙普賢岳火砕流など災害復旧工事に積極的に関わる中で技術力を向上。
リーマンショック後、長期経営計画を策定、「長崎から全国へ、海外へ」の標語を掲げ、水処理システム分野と電気エネルギー分野に積極的に資金と人材を投下。水と電気に関わるプラントメーカーとしてエンジニアリング企業へ成長。
機械システム、電機システム両分野の企画・設計・製作・工事・運転維持管理までのワンストップソリューションが強み。東京、大阪、福岡等都市部の上下水道事業を強化し、県外受注は7割。また下水処理施設の流木等を取り除く除塵機は国内シェア4割。
日本最大の淡水化センターを建設し、世界最高水準の淡水回収率を実現するとともに、公共淡水化施設の運手維持管理を担う国内唯一の民間企業として業界をリード。また海外事業や研究開発に注力し、新興国での水処理関連ニーズや産学連携での新技術開発に取り組んでいる。
19年に生産性向上と競争力強化を目的とする新工場を竣工、国内拠点をマザー工場としつつ海外拠点と「IoTで結ぶSCM」の構築を進めており、今後の更なる発展が期待できる。
刃物製造が伝統産業である三条地域に1930年鋏製作として創業。その後ハンマー鍛造の技術を磨き、利器機具、作業工具等と生産物変遷。
69年鍛造工場新設を機に機械部品製造へシフト。大手物流システムメーカーからのリベットレスチェーン受注成功が事業発展の契機となる。81年新工場に集約し鍛造・機械加工・組立、出荷までの一貫生産体制を確立。金型も自社生産。2009年世界最先端の防音・制振の鍛造工場新設。
主要製品は農業用機械部品の大型コンバイン用ナイフガード。作物の収穫効率を左右する基幹部品で、世界最大の農機メーカーに独占供給し世界トップシェア。搬送用部品のリベットレスチェーンは国内外鍛造コンベアチェーンラインのシェア9割以上。
製法はハンマーでの熱間型打ち鍛造。プレス鍛造に比べ多品種小ロット・複雑形状に強いが、職人の熟練度が重要で、1チーム4人編成のローテーションで作業者負担を軽減し若手の定着、技術継承を図っている。
三条地域の伝統産業である刃物製造の技術を継承発展。伝統技術と最新技術を融合させ高品質の製品を生み出し、大型コンバイン用ナイフガードの世界的メーカーに成長。当社しかできない熱間型打ち鍛造技術、若手社員への技術継承及び福利厚生面・労働環境面での充実を強みとして、今後の更なる発展が期待できる。
1947年創業。南方従軍し食料不足に苦しんだ先代社長が「食糧の安定供給が図れる事業で社会に貢献したい」と農林省指定精麦工場始める。
60年米ぬかを原料とする製油業に進出し、67年にはこめ油抽出量で全国トップに。現在では関東・関西に5工場を有するこめ油業界を代表する企業に成長。食用油市場におけるこめ油シェアはまだ小さいが、近年は健康優良食品として家庭用市場が急拡大中。酸化しにくいことから製菓メーカー等業務用も多い。
また製油業進出時より原油の高度利用に着目、精製・脂肪酸蒸留塔も設置。72年築野ライスファインケミカルズ㈱設立、抗脂肪肝・動脈硬化予防等に効果のあるイノシトール抽出に成功するなどファインケミカル分野が事業の重要な柱に発展。米ぬかの高機能成分を抽出精製し、食品添加物、化粧品・医薬品原料等として供給。
そのほかオレオケミカル事業も展開。精製過程で生じる副産物および使用済み食用油から工業用油脂を製造。
業界を代表する企業として米ぬかの有効成分の研究促進に尽力、世界的シンポジウムをこれまで3回開催。フェルラ酸の研究進展等に貢献。
「お米を科学する」当社は、米ぬかを徹底的に研究し、食料資源の高度有効利用を積極的に進める事業展開を図っており、今後の更なる発展が期待できる。
1954年カメラ用ばね生産で創業。70年代後半のNCマシン自社開発の成功を機に、81年をピークにカメラ用ばねの需要が少なくなる中「精密・極細」で生き残りを図り電子機器業界に進出。
90年代後半、文具メーカーからの要請に基づき中性ボールペンのペン先(ボール)を支えるチップばねを開発、自社開発NCマシンにより量産化に成功。その後半導体、医療、自動車分野にも進出。
半導体検査装置用ばねは外径0.1mm以下の世界最小クラスの最微細ばね。半導体の電子回路に電流が流れているかを検査する装置に用いられている。現在は外径0.060mmのばねの製造に着手。世界トップシェアのボールペン用チップばねは毎月数千万個生産し、国内をはじめ海外はスイス、フランスのメーカーにも供給。
熟練工の技術を取り込んだ自社開発NCマシンは独自の稼動表示板システムにより、24時間無人による変化点管理を実現。上海、大連、マレーシアの工場合わせ約700台が稼動。
また医療分野での産学連携を積極的に進めており、現在製品化、量産化を予定している。
「MADE IN SUWA」にこだわり、技術開発の基盤はあくまでも諏訪。精密部品の工業集積地である諏訪地域において精密・微細ばねの製造技術を極めたトップ企業として、今後の更なる発展が期待できる。
1915年お酒と乾物の小売店として創業。元手無しの出発であった創業精神を大切に、屋号を「元なしや」と号した。酒類問屋へと発展し、54年に㈱元なしや商店を設立。
80年代ビールや清酒が価格競争に陥る中、差別化を図り大きく事業転換。85年蔵元と共同でオリジナル純米吟醸酒「白滴」を開発し地方銘酒にも注力。87年には輸入ワインに取り組む。
96年に経営を引き継いだ現会長はワイン直輸入を開始。東京オフィス開設や百貨店・ネットショップへ販路開拓し「赤ワインブーム」の追い風もあり業容大きく拡大。さらに社員の「ソムリエ」資格取得推進など人材育成に力を注ぐ。
リーマンショック以降、ボルドー等の高級ワインが鈍化するも、商品戦略を見直しチリ産の新興ワイン等を開拓。また西日本を中心に試飲会(100種類のスパークリングワインのフェス等)を開催し顧客創出に努め、現在では独立系ワインインポーターでトップシェア(大手含めても国内第5位)を確立。
当社は独自のITシステム開発力に強みを持ち、輸入業務、販売管理、顧客専用WEB受注等のシステムを開発、業務効率化や顧客利便性向上に活かしている。
社員をワインのスペシャリストに成長させるサポート体制も充実させ人材育成に注力しており、今後の更なる発展が期待できる。
1970年警察官であった現社長が地域に役立つ商売をと業務用洗剤の訪問販売で創業。
76年に海藻シャンプーの販売を始め、98年ロングセラーとなるラサーナ海藻ヘアエッセンス発売。その後、スキンケア製品、入浴剤・アロマなど天然素材に拘り商品ラインアップを拡大。
事業の転機となったのが2003年。それまで病院・学校等の職域販売が中心であったが、通販会社を通じ大量に試供品を配布。これが人気を呼び、翌年には売上高が倍増。
06年にコールセンターを備えた7階建本社、翌07年に広島市郊外に西風新都工場を建設。無人自動倉庫などIT物流機能を備えるとともに、発送ラインにはデジタルピッキングシステム(DPS)を導入し、複数商品を効率的に梱包、正確に発送している。また、年間3,000万包のサンプル生産能力は全国トップクラス。
大手化粧品会社の広告戦略と異なり、当社は「試供品(サンプル)を使ってもらい、商品の良さを分かってもらった後に、納得して購入して頂く」サンプリング販売が営業戦略の柱。全国のドラッグストアに営業マンが定期訪問し、サンプル配布と販売指導も行っている。
サンプル製造設備を拡大し、DPS、無人自動倉庫など効率化を進めるとともに、営業力の一層の強化に取り組んでおり、今後の更なる発展が期待できる。
1980年創業。シリコンや特殊ガラス等の硬脆性材料の加工装置メーカーとして、シリコンウェハー、フォトマスク用面取加工機を開発販売。
89年硬脆性材料の受託加工を開始。シリコンシャワープレートの小径深孔加工の需要を取込み事業拡大し、現在では受託加工が売上の7割以上を占めている。
受賞対象の新技術・製品は「硬脆性材料加工向け高速小径孔加工機」。2009年開発開始し17年に製品化。直径0.4mmの極細ドリルの先端に水の吐出開口部を設け、ドリル加工と同時に切屑を外部に強制排出することを可能とした画期的製品。切削速度や水圧を自動調整することで、従来何回ものストロークが必要であった加工作業が1回ですむ「ステップ動作レス」を実現し加工時間を1/3に短縮。またドリル刃の摩耗も大幅に軽減され長寿命化も実現。
同加工機の製造販売と、さらには高速小径加工の技術を用いて受託加工を請け負うビジネスモデルで、近年急速に成長。
当社が開発した硬脆性材料向け極細ドリル及び高速小径孔加工機は、従来の加工方法の課題を解決する新規性・独自性のある技術。更なる生産性向上、新技術開発に向けた投資も積極的であり、研究開発型企業として、今後の更なる発展が期待できる。